「ちゃんとした自分の写真、最近撮ってないな」
そう思うことはありませんか。
家族と出かけたときの写真はある。
孫と一緒に写っている写真もある。
スマートフォンの中を探せば、自分が写っている写真はいくつか見つかる。
でも、
今の自分が、自分らしく写っている写真。
そう考えると、意外と少ないのかもしれません。
還暦や古希などの節目に。
家族から勧められて。
終活について考えるようになって。
あるいは、特に理由はないけれど、
「今の自分を、一度ちゃんと写真に残しておこうかな」
そう思ったときに撮る写真には、どんな意味があるんだろう。
写真を仕事にしてきた私自身も、最近そんなことをよく考えます。

遺影は、お葬式の日だけに見る写真ではありません
シニア世代のポートレートというと、
「終活」や「遺影写真」
という言葉が浮かぶ方もいると思います。
でも、遺影について考えていると、私はいつも思うことがあります。
遺影は、お葬式の日だけ使われる写真ではありません。
そのあとも、家族の暮らしの中に残っていく写真です。
毎朝、
「おはよう」
と声をかける人がいるかもしれない。
仕事から帰ってきて、
「今日はこんなことがあったよ」
と話す人がいるかもしれない。
うまくいかないことがあった夜に、
「こんなとき、あなたならどうする?」
と写真に向かって相談することだってあるかもしれません。
もちろん、写真が答えてくれるわけではありません。
でも、その表情を見ながら、
「この人だったら、きっとこう言うだろうな」
と想像することはあると思うんです。
だから私は、遺影になる写真には、
ただ顔がきれいに写っているだけではなく、
その人を思い出せる何かがあってほしい
と思っています。

「この写真のおじいちゃんが好きなんです」
実際、Studio門出に写真の相談に来られる方もいらっしゃいます。
お葬式のときには時間もなくて、子どもたちが手元にあった写真から、とりあえず遺影を作った。
でも、その後になって、
「私は、こっちのおじいちゃんの方が好きなんです」
と別の写真を持ってこられる。
それは、夫婦で出かけたときに撮った写真だったりします。
ものすごくきれいに撮られた写真ではないかもしれない。
少し小さかったり、背景にいろいろなものが写っていたりするかもしれない。
それでも、
「この表情がおじいちゃんらしいんです」
と。
だから、この写真を大きくして飾りたい。
そんなご相談をいただくことがあります。
その話を聞くたびに、
写真の価値は、解像度やライティングだけでは決まらないんだなと思います。
その写真を見たとき、
どこへ行った日のことなのか。
そのとき何を話していたのか。
どんな人だったのか。
一緒にいた人の中に、いろいろな記憶が戻ってくる。
写真には、その人と過ごした時間まで写っていることがある。
だからこそ、その一枚が大切なんだと思います。

写真は、一度撮ったら終わりじゃなくてもいい
遺影について相談を受けていると、もうひとつよく聞く話があります。
「病気になってから撮った写真しかなくて、あまりおじいちゃんらしくない」
「もっと元気だった頃の写真を使いたかった」
という話。
その一方で、
「若い頃の写真しか残っていなくて、今の本人とはずいぶん違う」
ということもあります。
どちらも、珍しい話ではありません。
だから私は、
人生の中で、何度かきちんと写真を残しておくのもいい
と思っています。
還暦のとき。
古希のとき。
喜寿のとき。
結婚記念日に。
孫が生まれたとき。
何か大きな理由がなくても、
「そろそろ今の自分を残しておこうかな」
と思ったときに。
写真は、その時点の自分を残してくれます。
10年前の自分も。
5年前の自分も。
今の自分も。
どの写真が一番その人らしいかは、ずっと先にならないと分からないのかもしれません。
だから、一枚だけを「将来のために用意する」というより、
その時々の自分を、少しずつ残しておく。
そんな考え方でもいいと思っています。


結婚式で撮った、ご両親のツーショット
私は長く、結婚式のカメラマンをしてきました。
結婚式を撮るとき、私が必ず撮るようにしている写真があります。
新郎新婦だけではありません。
ご両親ふたりの写真です。
結婚式の日って、ご両親もすごくいい顔をしているんです。
子どもが結婚する日。
家族が集まって。
少し緊張もしていて。
でも、やっぱりうれしくて。
そんな日に、ご夫婦ふたりで並んでもらって撮る。
後になって、
「あのとき撮ってもらった写真を遺影に使いました」
という話を、本当によく聞きます。
そのたびに思うんです。
やっぱり、いい表情なんですよね。
遺影用に撮った顔ではない。
うれしい日に、家族と一緒にいたときの顔。
だから、残された家族がその写真を見たときにも、
「このとき楽しそうだったな」
「いい顔してるな」
と思えるのかもしれません。
悲しいときに見る写真だからこそ、
その人のうれしそうな顔が、残された人を少し元気にしてくれることもある。
私は、そう思っています。

だから、撮影の日を楽しい日にしたい
還写を考えるとき、私は「いい写真を撮る」だけでは足りないと思っています。
せっかくなら、撮影の日そのものが楽しい方がいい。
お子さんやお孫さんが集まって。
「おじいちゃんって若い頃どうだったの?」
「昔いちばん自慢だったことって何?」
「おばあちゃんとどうやって出会ったの?」
なんて話を聞く。
もしかしたら、
いつもは聞かされすぎて家族が聞き流しているような自慢話も、
その日はみんなでちゃんと聞く。
「またその話?」
と言いながら笑う。
昔のアルバムを出してくる。
思い出の品を見せてもらう。
昔の仕事の話をする。
それを聞いて、孫が初めて知ることがあるかもしれない。
写真を撮ることをきっかけに、
家族がその人の人生の話を聞く日になる。
そんな撮影体験にできたらいいと思っています。

家族が覚えているのは、顔だけじゃない
お父さんがいつも座っていた椅子。
お母さんが毎日立っていた台所。
長年手入れしてきた庭。
休日になると向かっていた碁盤。
ずっと続けてきた仕事場。
家族には、
「あの人といえば、これ」
という景色があります。
だから還写では、スタジオで撮るきちんとしたポートレートだけでなく、
その人が暮らしてきた場所へ伺う訪問撮影も大切にしたいと思っています。
いつもの椅子に座っている姿。
料理をしている姿。
趣味を楽しんでいる姿。
夫婦で話している姿。
そこに、家族や孫が加わってもいい。
写真を見るたびに、
「ああ、こんな人だったな」
と思い出せる。
そんな一枚を残したいと思っています。

「まだ早い」と思えるときに撮っていい
終活や遺影という言葉が出ると、
「まだ早いよ」
と思う方もいるでしょう。
でも私は、むしろ、
「まだ早い」と笑えるときに撮っておけばいい
と思っています。
元気だから、好きな場所で撮れる。
好きな服を選べる。
自分で写真を見て、
「この写真いいね」
と言える。
夫婦で並べる。
子どもや孫と笑える。
そして、撮った日のこと自体を、自分でも覚えていられる。
まずは、今を楽しむための写真。
その写真が何年も残って、
いつか必要になったときに家族が選ぶ。
私は、その順番が自然だと思っています。

写真には、たくさんの想いがあっていい
写真として完璧だから、大切になる。
必ずしも、そうではありません。
誰と撮ったのか。
どこで撮ったのか。
どんな一日だったのか。
そのとき、どんな話をしたのか。
その表情を見たとき、家族がどんなその人を思い出すのか。
そういうものが重なって、
一枚の写真が大切な写真になっていくのだと思います。
だから、これから撮る写真にも、
たくさんの思い出がつながっていてほしい。
今の自分。
好きな場所。
大切にしているもの。
一緒に過ごしてきた人。
そして、
みんなでその人の話をした、撮影の日のこと。
家族がその人を思い出すときの景色まで残す。
そんな写真を、Studio門出では「還写」として残していきたいと思っています。

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